セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

なぜなら俺は自分が幸せであることを知ってるから

どうもよよよです

今までは仕事があったから、ある程度自制出来ていたが現在の俺は1日の15時間をネトゲとゲームに当てる完全にダメ人間になってしまった

オマケに昼夜逆転

まぁダラダラするのが目的だったんですけど

これからセミリタイア生活を長く続けるには健康であることが一番

大分へ行ったら、ちゃんと運動もしようと思う

朝七時に起きて走ろう!

そしてランニング中に、絶望顔の出勤中の社会人を見ながら自分が勝ち組であることを再確認するのだ

運動になるし、自分が幸せであることも確認できるし、一石二鳥

29年の人生で学んだことは、結局人というのは人との比較でしか幸せを感じられない生き物なんだということ

対等な人間関係などなく全てはマウントの取り合いだということ

俺がSNSが嫌いなのは幸せそうな人間が多いからだ

自分がみじめになってしまう

まぁどうせ嘘松だらけの幸せアピしないと死んでしまう人間だらけなのは知っているが、それでもいい気持ちはしない

たまに「よよよさん、もっとTwitter使ってくださいよ!」というご意見をいただきます

昔からそうなんですが、和気あいあいとした空気の中ではどうしても居づらさを感じてしまう人間なんです

それがSNSでありがちな表面上の和気あいあいだと加速されます

俺ってこういうんじゃないよな、俺って1人じゃないと満たされない人間なんだよな

そういう風に思ってしまうんですよね

「あっ、こうして出勤中の苦しそうな社会人を見てるとSNSが虚構の世界であることが分かるわ」

ランニング中にそう確認することができるだろう

「そっか、もちろん俺より好きなように金も時間も使える人間もいるけど、世の中の9割は俺より辛い生活をしてるんだよな」

そこから俺の1日は始まる

そこからネトゲという世界と繋がっているようで、この上なく孤独な世界に身を置くことができるのだ

孤独でも大丈夫 なぜなら俺は自分が幸せであることを知ってるから

そう思うと、僕が仕事辞めたのも必然だったんでしょうね

仕事なんか表面上の付き合い、上司や同僚とのマウントの取り合いのオンパレード

僕が幸せを感じる環境からは一番遠いです

大分県へ行けば友達も周りにいないし、親や家族からも遠く離れる

もっと孤独に身を晒さなくてはいけない

それでも幸せを得られる仕組みを自分で作っていく

セミリタイアとは孤独の道

それでも幸せを感じられるタフな人間を目指そう

大分へ行ったら心と身体の健康のために、走ります

だから、今はどこまでも堕落していていい これは11年頑張った自分への御褒美だ

よし、そうと決まったら僕はまたネトゲの世界に帰ります...

チャオ