セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

よよよさんはもしかして発達障害かもしれませんね

どうもよよよです

ブログを何年もやって、こうして自分の特徴や性格をつらつらと書いているとたまに「よよよさんはもしかして発達障害やADHDと呼ばれる人かもしれませんね」というご意見をいただくことがある

僕自身そういうふうなことを疑ったこともある、ネットで調べると自分と共通点も多い

でも、もし自分が発達障害だったら、だからなんなんだ?と思い直し気にするのはやめた

今さら病院に行って自分が発達障害かどうかを確かめようとも思わないな

自分を発達障害だと認識してなにが変わる?「俺は発達障害だから日常で上手くいかないことがあってもしょうがないんだ」と心の中で免罪符が欲しいのか?

そんなのはなんの意味もない、気休めだ

明日からも上手くいかない日常が続いていくのに、なんの解決にもなってない

それでホッとできるほど甘いものなら、元から大した悩みではない

本当に辛いなら本気でセミリタイア目指すくらいじゃないとな!

だいたいなんにでも原因は自分にあると思うのは日本人の悪い癖だ

そんなんじゃどんどん卑屈になってしまうだろう

確かに俺は職場にうまく適応できなかったし、人間関係も得意じゃない

でもそんなことは誰にでもよくあることだ

いちいちそれぐらいことで自分はおかしい、アスペや発達障害かも、なんて疑ってたらキリがない

俺の個性を認められない周りが悪い、ぐらいの勢いが欲しいものだ

大人になり社会人になってから、自分が発達障害であることに気づくことも多いらしい

普通に考えたら、学生から社会人になった途端に問題が起きたとしたら、社会人の環境のほうを疑うものだと思うが、融通の効かない社会というやつは「いーや、お前が変なんだ」ととにかく個人のせいにしたがる

俺から言わせれば、上司や周りにヘコヘコと月何百時間も働いて平気な社畜のほうがよほど狂ってると思うのだが、そんな社会に適応できないから、ハイお前は健常者じゃない発達障害ね!というのもひどい話だ

挙動不審で陰キャな不器用人間なんて、ただの人間の個性のひとつだと思うのだが、そうした個性は社畜界では認められないらしい

現代社会の病理を感じるね

つまりあれかい?

発達障害とは狂った現代社会に適応できない人間のことを言うのかい?

そんな適性、あった方が困るなァ(笑)

ちょっと変なヤツのことをすぐにアスペ扱いする昨今のネット民のことは気に食わない

なんでもカテゴリ分けして「俺はアイツとは違うんだ」と安心したがる集団心理の奴隷たちには付き合っていられない

俺が発達障害かどうかはおいといて、少なくとも俺は既にそんなしょーもない社会への適性があるかどうか悩まなくていい立場であることは間違いない

この優雅な生活を手に入れられたんだから俺は社畜適性がない自分の個性に感謝しなくちゃいけないな

苦しそうな社会人を尻目に毎日テレビゲーム、アニメ、釣り、と遊び三昧、自分の個性を多方面に振るっています

他人より劣ってるはずの僕が世間のヤツらより自由で楽しい生活をしているのは胸がスっとします(苦笑)

もしかしたら読者の中にも発達障害やADHDで悩む人がいるかもしれないですね

自分が他人と違うと思ったら、無理してアイツらのくだらん神輿を一緒に担いでやる必要はないんですよ

気休めに逃げず、自分が自分らしくなれる環境を求め懸命に努力邁進するのです

無理して周りに合わせて、あなたの貴重な個性を失わないでください

僕の個性を最大限に発揮できる場所、それが今のセミリタイア生活なのだった…