セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

31歳 無職

どうもよよよです

先日、わたくしこと人生よよよは31歳になりました

31歳という年齢、30歳を過ぎてアラサーという言葉を使うと重みが違うわ

27歳くらいのヤツが「俺、アラサーだからさぁ‪w」と自虐でイキってるのとはわけが違う

俺はもうアラサーという言葉を自虐じゃなくて、アラサーという言葉にすがり始めている

まだアラサー、まだ俺はいける、そんな風にすがって残酷な時間の経過から身を守ろうとしている

とはいえ若くありたい一方で僕は早くおっさんになりたい、とも思っている

先日の旅行趣味の押し付けもそうじゃないですか?

他にも、僕はセミリタイアして一生このまま独身で生きると何度も言ってるのに、いまだに結婚や社会復帰を勧めてくる読者もいますし

「若いんだからさ、いろいろな経験したほうがいいよ」

このセリフ、僕が世界で一番嫌いなセリフのひとつなんです

僕は自分の小さな、けども純粋な世界で満足できる人間で、それ以上を求めることは自分の破滅に繋がると信じてますから

アクティブ過ぎて登山で死んだり、仕事や結婚や子育てで不幸になる人間達を見てると「人生はさ、経験だよ」と様々な経験をさせようとする大人達が悪魔に見えてきます

経験とは時に苦痛や苦労を伴います 新しいことに挑戦する時に慣れないことに苦しんだり、失敗して傷ついたり、僕はもうたくさんなんです

僕はもう十分苦労してここまで来たので、苦労して成長しよう!というのは人間としての能力が求められる一般的な社畜や結婚を望む人間になら正しい言葉なのかも知れませんが、僕はもう無職、あとは適当に生きて死ぬだけの人間

これ以上の人間として成長のいらない僕には苦労は不要なものです

僕にはもう超えなくてはいけないハードルもありませんし、成長を強制される境遇にもいません

それでもかたくなに僕を経験という名の苦痛や苦労を味あわせようとする大人達、恐ろしいです

これもまだまだ僕が若造だから「経験値史上主義おじさん」が一般的な価値観を僕に当てはめて僕に苦労をさせようとしてくるんです

早くおっさんになりたい、おっさんになれば、「ああ、こいつはもう伸びしろがない」と思われて経験という名の苦労を勧められることも無くなる

31歳から年月さらに重ねて世間から諦められたい、救いようのない存在になりたい

もっともっとダメ人間にならなければ、世間は僕のことを諦めてはくれないのだ

僕のことを諦めてくれるその日を目指してさらに無職として精進していきます

31歳のよよよもよろしくお願いします