セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

自分でなくて良かったとホッとするしかないですね

どうもよよよです

昨日ネットで祝賀パレードを見た

ネットの反応を見ると、「日本人である事が誇らしい」「自然と涙が出た」みたいな意見が多かった、俺は楽しげでいいねとは思ったけど特に涙は出なかった

まぁしかし金がかかってるんだね、俺は税金なんかろくに払ってないから文句を言う権利はない、主に税金を払ってる世の皆さんが納得していればそれでいいんだけどさ

皇室に対して思うのは、自分でなくて良かったということ

生まれながらに勝手に役割決められて、生き方も制限されてカメラやマスコミに追い回されて、きっとダラダラテレビゲームなんか出来ないんだろう

結婚相手も自由に選べず、国民から監視を受けて「日本の理想的な家族」として象徴であり続けて…勝手にその役割を辞めることも出来ない

自分でなくて良かったとホッとするしかないですね

本人達はどう思ってるんだろう?生まれながらにそういう役割なんだと言われる事に対して、「なんで自分が」と思ったりしないのかな?

不満を言うことすら許されないんだろうけど

息苦しく感じていたら可哀想だな、といつも思う

ここまで言うと皇室反対派なのか、と思われるかもしれませんが、そんなことはないですよ

パレードにも11万人集まったようですし、まだまだ多くの人達にとっての希望であり活力になっているのでしょうから、無駄だという事はないと思います

世間の大多数の彼らにとって象徴的な存在ってきっと必要なんですよ、そうした精神的な支柱があるから日々の生活を頑張れる人も大勢いるんだなとネットでの反応を見て思いました

誰かがその役割を担う必要がある

ただいつも生まれながら象徴とされる側の気持ちはどう感じているのかなと考えてしまいます

生まれながらに有無を言わせず「我らが尊敬するべき人だ」という価値観を押し付け、それにふさわしい立ち振る舞いを要求する

税金でいくら生活には困らなかろうが…俺だったら嫌だなと

なんだかとても残酷な事をしているのではないか、という意識はずっとある

大勢に囲まれてきらびやかなパレードの主役になるより、俺は部屋で1人ゲームをしていたほうがいいな

そして僕は象徴があろうがなかろうが頑張れない人間なので無職を続けます

車に乗っているのが自分でなくて良かったな、と思いながら昨日は豪華なパレードと世間の人達の嬉しそうな顔のネット中継を見ていました