どうもよよよです
40代男性「生活費8000円」田舎暮らしで得た快感 | 街・住まい | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
生活費8000円のセミリタイア男性が話題になっていた
確かにすごい
ただちょっと張り切り過ぎではないかと心配にもなる
食べ物はほとんど自分で畑で育てて、火を起こして料理、買い物は自転車で1時間離れたスーパー
そういうのが好きなので!とはこの人は言ってはいるが、それを全て生活に必須な部分に取り入れる必要があるのだろうか
別にそういうのが好きなのは否定しないが、普段はそこそこ利便性のいいところに住んで家庭菜園やたまにアウトドアで焚き火料理作ったりキャンプするくらいで趣味の楽しみは満たすのではダメなのか?
例えば重めの風邪などの時にも、火を起こして料理をし、食べもの確保のために必ず農作物の世話をして、病院行くにも自転車で1時間、とそんな万全ではない時にもいつもの生活をするのだろうか
僕がこういうセミリタイアをする人を見ると思い出すのは、「小屋暮らしセミリタイア」をしていた人たちだ
安い土地を買ってそこに数十万円程度で小屋を建て暮らす
よよよは家賃1万円?高い高い!建ててしまえばあとはタダだぜ!
まぁそんな事は言ってないが、とにかく超低コストの生活をして労働から逃れようとしていた人達
この記事の人のように火はガスや電気に頼らず、小屋暮らしの人達は自分で火を起こして料理をしたり風呂に入るようなこともしていた
しかし、ちょっと調べれば分かるが数年前に小屋暮らししていた人達は現在はあまり小屋にはいない生活をしている
海外にずっと行って小屋へはたまに帰ってくるだけだったり、都会に戻ったり、実家にけっこうな頻度で帰っていたり…
もちろん誰一人として、それを「小屋暮らしが大変だから」とは言っていないが、俺は怪しいもんだと思っている
「楽しいと思ったのは最初だけだったのでは?」と言ってはいけないセリフを言いたくなってしまう
俺も一時期、小屋暮らしも考えた時期があったが、面倒くさがり俺には維持管理が無理だという判断に至った、それはおそらく正しい
どんなものでもそうだ、大好きな趣味でも「必要に駆られる」と人というのは面倒になったりするものだ
俺だってテレビゲームを「毎日必ず5時間はやってください」なんて言われたらゲームのことを嫌いになるだろう
皆さんに言いたいのは、どうせやるなら「持続可能なセミリタイアを!」ということだ
一から火を起こして料理をするのが好き、作物を育てるのが好き、まったく素晴らしいことだと思うが、それをガチでやらないと生きていけない状況に自分を追い込むのとは意味合いが違うと思う
風邪ひいた時くらい、ピッとワンタッチでお湯を沸かしてうどんをサッと茹でられる環境でもバチは当たらないじゃない
ちょっと咳止めを買うのに徒歩2分のドラッグストアに行っても誰も文句は言わないじゃない
そんな甘えられる猶予がなく常にいつもの生活を迫られる状況は、ストレスになると思う
そして1回でも、いつもの生活にストレスを感じたらもう、その生活は続けられない
記事の人は20年夢見ていた生活を始めた、と言っているから、きっとそのために多少貯蓄もあるだろうし、生活費を8000円に抑えなくてはいけないほど困窮しているようにも思えない
もう少し楽をしてもいいのでは? 理想を追いかけ過ぎなのでは?
俺はこの人にこの生活を続ける能力がないと言ってる訳では無い、おそらくあるんでしょう
しかし、人は体調、年齢、情熱、様々な要因で能力がガクンと変わる生き物だから、常に80%以上の力を出さないと暮らせません!という状況に自分を追い込んでいる人を見るとどうしても心配になってしまう
働かない生活を持続させるためにも、もう少し文明が用意した利便性を頼ったほうがいいと思うんだよね
持続可能な無職生活のために自分に「サボれるセミリタイア」を!
「お前もけっこう自分を追い詰める節約してるだろ」、そんな声が聞こえてきそうです
僕だっていざとなればサボれるセミリタイアを実践してますよ
スーパー、コンビニ、ドラッグストアなんかすぐそばだし
冬はエアコン使わずに室内テントで過ごすぜ!なんて言ってもピッとエアコンつければ暖かい風とすぐにご対面できるんですから
ちゃんと僕は逃げ道、サボれる猶予は残しているのですよ
この記事の人はどうも逃げ道が用意されてるのか不安になる
まぁなので皆さんにも持続可能なセミリタイアをして欲しいですね
「生活費8000円!?よよよとかいうエセ節約ブロガーよりすごいじゃん!俺もこの記事の人のように暮らそう!」と真に受ける前にね
キミはそれを一生やるんかと、できるんかと、言いたいですよね
田舎暮らしならではの「煩わしさ」もない 田舎暮らしには、地元のしきたりや、集落の行事への参加など都会生活にはない煩わしさもあるといわれる。だが、男性が住む集落は高齢化が進み、煩雑な行事や付き合いもあまりない。60代が「若手」に入る集落は40代の男性の移住を歓迎してくれ、いろいろと気にかけてくれるという。
うーん、そりゃあ最初から意地悪な人なんて、そうそういないよね
そこから、ちょっとしたすれ違いや勘違いで仲違いするからご近所さんというのは難しいのだ
関係性があるほど、「あの時優しくしてやったのに」などと面倒なやつが始まる
「優しく気にかけてくれるご近所さん」、ちょっと僕は遠慮したいですね
僕にはアパート暮らしの無関心さが心地よい
杵築市はいい人ばかりな街だが、自分は「田舎の土地持ち」にはなりたくない、という気持ちは変わらない
日常生活にしても人間関係にしても、逃げ道は常に用意するべきだ
それが優雅なセミリタイア生活だという事は皆さんに伝えておきたい