セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

無関心と優しさは両立できないからね?

どうもよよよです

 

流れてる回転寿司をペロペロ舐めたり、寿司に大量にわさびを盛ってレールに戻すような若者ってどうやって育てばできあがるんだろう?と考えたときに「叱る人間がいなかったんだろう」という結論に落ち着いた

若い時分に寿司ペロを叱るような人間が周りにおらず、自分のした行為の結果が全く予想できなくなってしまう

恐らくそのままでは倫理観が育たず強盗をやるような人間になる

寿司ペロした高校生はしっかり絞り上げて欲しい、強盗殺人するようなクズはもう無理だろうが、まだその時点でなら矯正できるはずだ

親が注意すればいい話だが親がちゃんと注意できる立派な大人とも限らない、そうなれば周りの人間が見つけた時に叱責するしかないが、それをやると今の時代は老害などと言われ社会から袋叩きにされるからな

だから以前このブログでも言っただろう?「老害は必要悪説」を俺は提唱しつづけるよ、老害がいなくなったから寿司ペロ事件は起きたのだ

カミナリおじさんと呼ばれるような疎まれるぐらい他人にうるさい人間というのは必要なんだよ、小生意気なガキをガツンと言ってやる必要がある 

なぜ他人のために叱責できる老害はいなくなってしまったのか?

他人の子を叱れる大人がいてもSNSでその親が「いきなり私の子を怒鳴りつける老害がいました、皆さんどう思いますか?」と都合のいい部分を抜き出し、しょうもないイラストや漫画化にして、自らの監督不行き届きを棚におき自身と自身の子への叱責を抑え込もうと世論操作をする、そんな嫌な時代になったからだと思っている

そうして世間の親たちは私達に干渉するなと不干渉を求めるが、当然ながら不干渉がルールとなれば誰からも助力を得られない

その結果困った事態になれば「誰も助けてくれない!世の中の人って優しくないですよ!もっと子供と子持ちに優しくして!」などと好き勝手なポジショントークが過ぎる、ますます人は離れていく

不干渉と優しさは両立できないからね?どっちかにしよう

子供を地域や社会で育てようと言う割に俺みたいな弱者独身中年男性が子供に関わると、すぐさま犯罪者扱いでリスクがデカすぎる、無関係無関心がベターになってしまっている

社会として理想とする大人と子供の関わり方と、日常生活で大人が求められる子供との距離感とで矛盾が生じているんだよ

一体他人の子どもにどう接するべきか、関わるべきか関わらないべきか、社会のコンセンサスをはっきりしないからおかしい事になっている

それに対して、関わるか関わらないかの二元論ではなくケースバイケースで考えろよ!という意見は頭の悪い人の意見で、そもそもこちらに他人の子供に対してリスクを超えて関わる責任も義理も全くない

「他人の子に関わるとろくなことがない」というリスクばかり高めたうえでそれぞれ本人の裁量に委ねたら「こちらが悪くなくてもイチャモンつけられてわずかでもこちらが悪者にされる可能性はある、じゃあ関わるのは辞めよう」となるのは当然の話、こうして他人の子を叱ってくれる老害はいなくなったのだ

寿司ペロを見つけたら「けしからん!」と叱る老害が必要だと言ってももう手遅れかも、モメて下手すりゃこっちが犯罪者、やはり無関係無関心がベターなのは変わらない、そしてストッパーを失った若者の暴走は増え続けるのだろう