セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

俺の生も死も俺のものだ

どうもよよよです


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ACは操作が難しくてできる気がしない、できる人はすごいと思いますよ

ゲームひとつとっても無能はできることが限られますから、娯楽すらも満足にできません

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まさにサティスファクトリーのような建築ゲーはキーマウ操作の入門編だと思いますよ

いきなりアクションも激しいapexなどのFPSをやるのは全くついていけず挫折するのは分かる

マイクラが一番いいんじゃないでしょうか、ブロックを置く位置を視点移動して建築、ジャンプを駆使してアクション、そしてFPSのようにそれを急がなくていい、まぁ敵はいるにはいるがモード変更で出ないようにもできます

農業や建築やりながら複雑なキーマウにも慣れる事ができる、子どもでもできるんだからゲームに慣れた人間ならキーマウだろうが出来ないはずがない

僕もPC買うまでコントローラー専業だったんですが、PCゲームやるうえでそれではできるゲームが限られてしまうんですよ、なので少しずつ練習してます

今は練習の成果でゆるい建築ゲームより激しく動けるようになったのでモンハンライズのライトボウガンをキーマウでやってます、そのうち対人FPSもできるようになりたいですね

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バカバカしい、その手のことを言ってるやつは世間にもたくさんいるが、なーにが魂だよ

崇高な自らの存在が消えてなくなるはずがないという知的生物特有の奢りだよ、一種の選民思考、いくら知能があっても生死に関しては全く虫けらと同じだというのに

もしくは宗教という名を借りた詐欺師が作り出した金をしぼりとるための虚言だな、「魂を浄化したいなら寄付しなさい」と言うための方便だ

自意識の正体は脳の電気信号、死んで脳が止まったらそこでぜんぶ終わり、いかに勤勉だろうが頭が良かろうが善行を積んでようが、魂が循環することもなく来世などなく、死んだら人は生ゴミになる

終焉、無、ゼロ、そんなのは決まりきってること、どれだけ素晴らしい人も潰された虫も死は平等

僕はリアリストですからね、くだらんスピリチュアルに傾倒しません

だからこそ生物にはとてつもない、大きな死への恐怖があり、特に人間には困ったことに死を予想できてしまう知能があるので、その恐怖を和らげるために子を残して次世代に繋いでみたり死後の世界を想像するのは理解できる、しかしそれは残念ながら人の心の弱さの産物以外の何者でもない、何を残そうと個としての消滅からは決して逃れられない

私は恐怖からではなく未知への探求心から永遠に生きることを目標としていますが、それが達成できない場合でも社会に参加せず孤独のまま死を迎えることで自我の消滅という絶対的な恐怖を誤魔化さず決して逃げない人生を完遂することができる

次世代に繋ぐ、だの、なにかドでかいことをやって歴史に名を残そう、だの、そんなのは俺からしたら逃げ、個の死という運命の残酷さから目をそらし続ける敗北者

社会に奉仕し社会に殉ずるのではなく、せめて俺は自分自身のために生き自分自身に殉ずる、俺の生も死も俺のものだ

社会にだけでなくスピリチュアルに傾倒する人間も同じだ

ちらりとでも魂だの前世だのの言葉を信じてる人は内なる恐怖心に支配されている、その恐怖心を利用されて詐欺に遭わないようにだけしてくださいよ

死や老いへの恐怖からつまらんスピリチュアルにはまるくらいなら僕のように科学技術を信奉して人体の冷凍保存技術に思いを馳せたり機械の体を得ることを人生の目標にしたほうがいいですよ、そちらにはまだ望みがあると信じています


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馴れ合いは嫌いなのでよよよさんでお願いいたします、一定の壁を保っておきましょう、人が壁を作らなくなったとき、そこから人は弱くなります

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当然でしょ、中学の卒業間近のとき、放課後クラスのイケてるやつから「卒業する思い出に男子も女子も合わせてクラスみんなでサッカーして記念写真を撮らない?」と誘われたけど、女子の前でへたくそなサッカーしたくないから断ってそそくさと帰った人間ですよ僕は

運動勉強仕事、なにもできない、「逆に俺は何なら人並みにできるんだろう?」と思います

運動のセンスがない人間は仕事できないと思うんですよね、そのへん直結してると思う

体力がないとか筋力がないから運動できない、というのは望みがあると思うんですよ しかし、体力や筋力とも違う、運動のセンスがない、という頭の悪さは治しようがなく、こう蹴ったらこうボールが飛んでいく、みたいな行動に対して結果を即座に予測する力が弱い、動作性IQが低い

行動に対する結果を予想する力が低いので、運動のセンスがない人間は当然選択の連続である仕事もできない、反復で同じ結果が得られる工場の仕事ぐらいしかできない

運動できないお子さんを持つ親御さんは気をつけたほうがいいですよ、将来仕事ができなくてトラブルになるかもしれません

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公立幼稚園は時間の延長ができないから、などは、問題の枝葉の部分であって根本的には少子化だから、で説明がつくでしょう

子供がいないから、公立の幼稚園保育園も専門的な学校も無くなっていく

子供が少なくなると子供に対する予算をかけづらくなってさらに子供が作りにくい社会になっていく、という経過を順調に辿っているということですよね、老いた国の末路

弱者男性からの提案としては「核家族をやめよ」ということです

忙しくて育児に手間をかけられないなら、ジジババに任せれば良い

母親が家にいるメリット、とは言いますが親はいなくとも子は育ちます、必ずしも親である必要はないんですよ、暇してるジジババが適任

育児の理想型って「周りの大人がちょっとずつやる」ということで、一人が抱えて爆発するよりそっちのほうがいいんです、なぜ育児に手一杯なら親に一緒に住もうよ、と言わないのか?喜んでかわいい孫の世話するでしょ

国としては世帯の人数が増えれば増えるほど減税をするなどの対応をする、保育園にかかる税金のことを考えたら安いものです

核家族のみの家庭は国からの保障が行き届いた裕福な先進国の家庭のあり方であって、もはや先進諸国からズルズルと後退する日本では、核家族は当然な家族の形ではないと思うんです

大家族で子供を育てましょう、アフリカの部族みたいに親戚20人くらいで住んでもいいです

まぁ家族間のナワバリバトルなどあるのかもしれませんが、他人と生きる選択をしたんだからそこはみんなで割り切ってほしいところです、弱者男性的に私はそこは割り切れないから孤独で生き続けます