セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

あちらが出向いてきて働いてくださいと頭を下げる立場だろうが

どうもよよよです

 


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親の病気の介護です、治ったんで働きたいですとかウソ言っとけばいいんじゃない

働くことなんてないけどね

俺はこの無職期間中、社会的な洗脳から目覚めて奴隷から人と成ったのでそこから奴隷に戻るという事に対してとても大きい心理的ハードルがある

少なくとももう、そういうかっちりとした面接があるようなところでは働けない

みんなよく考えてほしい、なんだよ面接って、ふざけるなと思う

貴重な人材が重い腰をあげて働いてやるという貴重な場面なのに、なぜ俺をわざわざ呼び出して対面で企業ごときが人を試すの?傲慢にも程がある、それが当たり前になってる社会がおかしいんだよ

あなたはまともな人なの?と警察に職質されてるようで不快だわ、試すなよ人を

あちらが出向いてきて働いてくださいと玄関口で菓子折りとともに頭を下げる立場だろうが

人に目覚めた俺はそう思うね

 


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あるね、南こうせつさんは杵築市のイベントにたまに出るし財前直見さんも杵築市スーパーで見かけた事はある

二人共杵築市で芸能界から離れてリタイア生活してるけど、「せっかく隠遁生活してるからあまり持ち上げないでおこう」と杵築市民がほっといてる感じがいいね、まぁそのへんはさすがにリタイアの聖地といったところか、ふふん

杵築市素晴らしい=俺素晴らしい


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そのバランス感覚は必要だと感じる

頭の中で健康がいっぱいになって、意味不明な健康情報に行き着いて、気持ち悪い信者になるケースは世間を見ててよくある

俺の読者でも「(誰か知らん医者)著名な〇〇先生が言ってたんですけど〇〇はしちゃだめor〇〇は絶対飲んだほうがいいですよ!よよよさん!」みたいな

あらら染まっちゃったね…やれやれ、という人は見かける

将来の健康という不確実性が高いものを誰かに保証してほしいと思えば、宗教のような閉じコン性質を持つ詐欺みたいな論説を振るうキモい医者やキモい健康食品や健康グッズにつき当たるように世の中の仕組みができてる

とはいえ、ネットではなくリアルの医者に全幅の信用を置いていいかと言われるとピンキリでヤブ医者も割といるので難しい

一人の医者や一つの情報をあまり鵜呑みにしないことなんじゃないかな

ただ情報を集めすぎてあまりに健康健康!と頭の中をいっぱいにし過ぎるのもキモい宗教的健康論にハマったりしてQOLが下がるので、それはある程度割り切りつつもある程度は情報を集める、バランス感覚を持とうとしか言えない分野だと思う、確実にこうすればいいという基準がない世界だから詐欺が横行してるんだろうな

 


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よくその本のこと言われるけど、俺とは明確に違うよね、だってあいつら現代で言う貴族だぞ?上級国民だぞ

今より食うのが難しい当時で歌人なんてバカみたいな職業でヘラヘラできるのは貴族にしかありえない

歌人なんて今でいうユーチューバーみたいなもんでしょ

金持ちユーチューバーが悠々とした立場で、お遊びで質素倹約して、何か庶民の心境をも含めて人生分かったような事を言ってる本なんて、現代なら総スカン食らうだろ

それなのに状況的に質素な貧乏リタイアするしかない庶民にバイブル扱いされてるのが笑えるわ、お前らとは立場が全然違うからね、なにが「わかるわー」だよ

庶民の皆さんが日々を過ごすうえで引用や参考として適当なのは鴨長明でも吉田兼好でもなく、より立場が近い人生よよよさんですよ

そうして古来より今まで上級国民にしかなし得なかったリタイアを、下級国民が実践してるという革新的な内容が書かれてる貴重な文献だろうが、なぜそれが分からない

このブログも方丈記や徒然草よりも質素倹約生活や隠遁生活について切羽詰まった庶民が実践から得た深い洞察によって書かれた名著として語り継ぐべきだよ


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だったら俺もブログを書くだけ書いて公開せずそのままお蔵入りするべきなのか?

それは違う、社会から独立したリタイア者は自分の創作物を世に出して、どういう評価を受けようとも、なおも揺るぎない信念を持てるから創作者としてむしろ向いてる

自分の作品をビンに入れて海に流した上で批評はご自由にどうぞ、わたしはそれら全てを無視します、というぐらいのスタンスがちょうどいい

承認欲求は悪だと断じた事はない リタイアした人間であろうとも、むしろ自己肯定には必要だと何度も言ってます、やり過ぎは良くないというだけ

承認欲求としては小説を読まれた時点で達成してるので、あとは無視、それ以降をあれこれ気にするのは承認欲求としてやり過ぎの領域

他者からの評価のみに依存して自分の作り手としての信念を捨てるくらいなら自分の世界にこもっていたほうがいい

どんなつまらない作品でも手放しで面白いと喜ぶ信者に囲まれるくらいなら世に出すな、とは俺は言うね、それは目的と手段が入れ替わってる

しかし批評に対して揺るぎない信念を持てるなら世の中に放流するのもよい、他人に見せるということ自体が創作者としてはプラスになることだからだ、自分のレベルアップのために他人を利用しよう