セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

性善説はもう限界です

どうもよよよです

 


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全部創作だから叱るも何もないんですよ

子どもと短冊を書いたというのも嘘、もしかしたら子どもがいるというのも嘘、さらにそんな承認欲求に貪欲な人間は家族がいるどころか一度も女性と関係を持ったことの無い高齢弱者男性かもしれない、誰にも認められない人間だから、暗い部屋でパソコンカタカタやってせめてSNSでバズって自分が価値ある人間だと証明したいんですよ、悲しいでしょう?

そうやっていないと発狂してしまう人間なら、僕はSNSで大ぼら吹くぐらいは許してやってもいいと思います、疲れるならこちらがSNSをやらなければ良いだけです、居場所がそこにしかないのでしょう

民衆にモラルを期待するのはもう諦めましょう、性善説はもう限界です


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わたしが愛のない人間だったらリタイアなんかしない

働くというのは傲慢な行為だ

かつて前職で正社員は派遣社員を差別して、おい派遣、仕事おせぇんだよと怒号を飛ばし「強気でいかないと派遣に舐められるぞ」と職長は正当化していた

本来職務ではないカイゼンなども提出して働いてる派遣社員のことを休憩室で 「でも、派遣だよ?w」と笑いものにしていた

いつかは自分が立場の弱い人間を踏みにじらなければならなくなるかもしれない、わたしはその前に脱出したんですよ

だからわたしは正社員だろうが派遣だろうが奴隷、社畜だと言ってるんです、会社からどんな役目を与えられようが同様に家畜なんだよ、と

くだらない箱庭で自分が上だと粋がってる奴らに比べれば、そのほうがよほどフェアで愛ある扱いです

そうして仕事できない人間を迫害したり、職場の人間の陰口を言ったり、嘘や誤魔化しをしたり、他人を蹴落としたり、社内のアイツは自分より上か下か、そんな事を一生気にしているしょうもない奴らより

一人で誰にも傷つけず傷つけられず部屋で引きこもって生きていこうと決めた人間は誰よりも愛の深い人間です、労働者を一生続けていける人間は他人の痛みに鈍感で残酷で愛のない人間です

こうしてリタイアし世間の喧騒から離れて嘘偽りの必要ない純粋な生活をしていると、いわゆる「立派な社会人」は何を考えているか分からない怪物に見えます


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それは仕方ない、使わない筋肉は失われる、脳みその機能も使わなければ失われる

わたしも役所でいろいろ記入するとき、めちゃめちゃ簡単な漢字が書けなくてビビリます

書類書くとき親の電話番号ど忘れしたりね、そのたびにヤバいなと思う、ただでさえバカなのに無職になってから加速してる

まぁただ、それだけ気を抜いて生きていけるということです、このまま認知症になるのが早くなったとしても働いてストレスを感じて生きていくよりずっとマシです


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その宗教はよく知らないが年一万円でハマれて他の不安を解消できるならいいのかもね

弱者には宗教が必要だという意見は変わらない

俺のような強固な自我を持っているなら必要ないが自分で指針を決められない人間には強力に引っ張っていってくれる何かが必要だ

問題は世間に真の弱者救済のための宗教など無いことだ

変な話だが、宗教には金を払えば払うほど信心は深くなるだろうなと思う

仮に、まったく金を払わなくていいですよ、会合にも気が向かないなら出なくていいですよ、なんて宗教があったとして、一般的には自由で良心的で良い宗教だねーという評価になるかもしれないが

そんな宗教には大して入れ込めず離れてしまうと思う、そういう意味ではいくら良心的だろうと弱者男性を救う事はできないので宗教としては失格だ、宗教としてどうせやるなら、しっかりハマらせる事が重要だ

弱者に宗教をハマらせるには束縛が必要だと思う、弱者は世間に必要ないとされ束縛なんてされないから束縛が嬉しいのだ

会合には週3回必ず出てくださいね、寄付は必ずしてくださいね、とタスクを与えることによって人生の不安をよそにやり、仕事を与えられる事で承認欲求を満たせる、単純接触効果を増やすことで教徒同士でコミュニティを形成させ孤独を解消できる

そうして活動をしていくうちに宗教幹部から「最近会合にも積極的に出て頑張ってますね」「寄付も頑張ってますね、必ず幸せになれますよ」

なんて言われたら弱者男性はイチコロだね

なので、一般人から見ると寄付がある宗教なんて胡散臭いと思うかもしれないが、宗教としてしっかりハマって不安を解消するためには寄付などで金を出すというのはある意味必要な代償とも言える

昔、パチンコやめたいけどハマってしまってやめられないという同僚に「じゃあパチンコ筐体を買って家で無料でいくらでもやれば」と言ったら、「金かけてねぇパチンコなんてひとつも面白くねぇよ」と却下されたのを思い出した、同じ行為でも金を出すというサンクコストによって人をその行為に没頭させるのだ

まぁでも、年一万円だろうがよく知らんおっさんを儲けさせるのは確かに癪だ、弱者男性はプライドが高いから他人に利用されることを嫌うあまり宗教に救ってもらうことができない

将来、俺がよよよ教を作るとしたら寄付と会合、勧誘はかなりきっちり義務化して弱者をタスクで忙殺しハマらせる、しかし実は寄付金は全部俺が貯金しておいてその人の人生の契機に全額返してあげるのだ

「あんたのために貯めておいたのよ」お年玉貯めてくれてたんだねお母さんシステムで弱者を救いたい