セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

これが真の救済だ

どうもよよよです

 


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流行る原因としてブラック企業の存在はあるだろうね

ただそれとはべつに日本における退職までのネチネチとした煩雑さに目を向けるべきだと思っていて、まず退職を切り出せば直属上司との面接、そしてその上の上司との面接、それが二度三度繰り返されて、それが終わったと思ったら

今までお世話になった人への個人的な挨拶周り、朝礼などでのさらに全体への挨拶、もちろん長文メールも忘れずに、退職までの周囲からの退職イジりに耐えて、職場の送別会、または個人的に関係のあった人との送別会、全部が面倒くさい、嫌になったから会社を去りたいのにその嫌になった奴らとさらに極限に濃密なコミュニケーションを加速させて過ごす数週間を送らなくてはいけないのか、マジでこの期間はクソだと言える

会社が怖い!からブラック企業に退職代行を使う人もいるのだろうが、ブラックとはいかないまでの企業においても日本の退職を決意してからそれを成し遂げるまでのネチネチとした遠さもまた、退職代行を使う理由の一つになってると思う、その辺に関しては社員へのフォローアップと称してるホワイト企業ほどネチネチしてそうである

海外は退職代行は流行らないと言われていて海外ならば退職の意思は上司にではなく会社に直接言うのがスタンダード、さらに退職の挨拶は全体送信メール一通

退職の法律におけるルールも明確かつ厳格で、未払い給与や通知期間などあろうものなら大問題、罰則も緩い日本のそのへんの法律とは違う

「わかるよ!俺も若い頃は仕事嫌いでさぁ!〜でもそれを乗り越えて今は楽しく仕事やってるよ!」そんな悪意のないゆえに面倒な説教はもうたくさんなんです

日本のそうしたくだらない習慣が退職代行を流行らせているのだから、ブラック企業めざまあみろ!で終わるのではなく、ブラックは海外もあるだろうが退職代行が日本でしか流行ってない理由に目を向けてべきではないか

日本の退職周りにおける習慣や環境がゴミじゃね?という議論に発展させねばならないのではないだろうか

 


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少なくとも欧米ではないだろう

たしかにこれからの時代は個人主義だといい出したのは欧米だ

でもご存知の通り差別偏見ばかりの国だから差別禁止と訴えているのが欧米で、差別の本場の国が個人主義万歳というのはお笑いだ

自由の国だと言うのは自分らが自由を感じてないからというのは想像できる

つまり個人主義だとやたらと言ってる国こそ信用できない、自分たちが徹底できてないからこそ声高に言うのだ

それに自分が個人主義で生きるために周りが個人主義を標榜する必要はなく、むしろ日本のような周りに流されやすい人間が周りを構成したほうが好き勝手に生きるうえでは個人主義としては生きやすいのではないか?と思う

個人主義だらけの中で周りが幅を利かせていると自分の個人のパーソナルが圧迫されてしまいそうだ

自分だけが個人主義であればよいのだ、自分が幅を利かす側でいたいのだ

そういう意味では日本は個人主義として生きるにはそう悪くないように思えてくる

周りが社会や風潮に流されて行く中で自分だけは流れる川の中に鎮座する巨石のように鎮座して個人を貫き通すのだ

 


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これが真の救済だ

おめでとう、このブログからの卒業です

過去に救われたとあるが、優しいだけの言葉でもって他人に救われてでしか自分では立ち上がれないような精神状態にすることが本当に救ったと言えるのか?ということは私自身、長く弱者男性救済ブログを運営していく中で自問自答していました

優しい言葉で他人を慰めることは救うことになっておらず、自分で立ち上がる勇気を奪いさらに沼に落としているだけではないのかと

大丈夫か?と差し伸べられた手を「うるせえよ!」といきって振り払って自分で立ち上がる強い力を持たせることが真の救済

ただ助けてあげるのではなく怒りを触発させ、本人に嫌われることもいとわず、強い言葉でもって相手の感情を奮い立たせる

俺は読者の精神状態を奮い立たせ自分で立ち上がる勇気をもたらした

君を俺のことを嫌いになることによって、俺によって真の救済をされたんだよ

その他人に対して怒りを覚え「ちくしょう!こんなバカに負けるか!」という気持ち、忘れないでくださいね