どうもよよよです
リタイアを志すと周りの人間がかわいそうに見えてくるんですよね
世間の人が眼の前のことに振り回されて生きてるようにしか見えなくなってくる、リタイアという生き方を通して自分の意志ではなく誰かに動かされてることに気づくことができる
やれローンで苦しいだ、やれ遊んでた女に振られただ、やれ会社で出世がしたいだ、全部ばかばかしく思えてくる、これは誰かが仕組んだ罠だと、俺らは無理やり走らされているのだと
リタイアという一本の道がスッとまっすぐ目の前に伸びている我々からすると、大きく回り道をして苦しみを増やしている人々は哀れだ
哀れな人間にレベルを合わせてムカついたりしてもしょうがないんですよ、僕らはリタイア天上人として「リタイアできない人たちはかわいそうだな、そんなに人を攻撃しないとやっていけないだなんて」とこれから一生働かないといけない人たちに対して多少無礼をされようが許しの心も湧いてくるってもんです、下界の奴らは大変そうだなと
あるいは、人々がリタイアを志していなかったとしても、一つの宗教としてリタイア教は成立していてすべての人はあたかもリタイアを目指しているかのように目の前の雑事に惑わされず暮らせば世の中の苦しみは減るのではないか?とすら思います
死後の世界のことを考えれば死の苦しみが和らぐように、リタイア後のことを思えば社畜現代人の苦しみも減る、死後の世界の確約なんてどの宗教でもできませんがリタイア教ならそれが叶います、頑張れば誰でもリタイアはできる
積極的に目指していなくても誰の心にでもいつでもリタイアの選択肢がある、それによって生まれる心の余裕でうまく世の中を生き抜いていく、このブログで伝えたいリタイア教の素晴らしさですね
うむ、しかし本番はここからです
今までは僕を指針にしても良かったのかもしれませんが、千差万別それぞれのリタイア生活があり、ここからは僕のマネをしても幸せになれません
むしろそう、僕を否定できるくらいのオリジナリティのある人生を歩まないといけないんですよ、人のマネをしてるうちはニセモノだ、自分がオリジナルになりホンモノにならないといけない
「よよよ?あいつはダメだね、ゲームばかりしてなにが楽しいわけ?俺のリタイア生活のほうがいいよ」そう言えるような人生にしないといけないんです、それまでの他人や会社に依存した人生を逆転させひとり孤独の海へ漕ぎ出すのです、お前が新たなリタイア教祖になれ
いわば映画でよくある、「最終試練はワシを殺すことじゃ」などと師匠が言い出すやつです
今まで慕ってきたよよよさんを殺すのは心苦しいかもしれませんが、古巣を捨てこのブログからは卒業してください、僕を殺して免許皆伝の資格を得てください
ゲームするということは俺にとっていわば旅行であり、競技性のあるスポーツであり、ストーリーものの映画鑑賞であり、恋愛含む人とのコミュニケーションなのだから、ゲームに飽きるというのは人生に飽きるということで、まだその域には達してない
まぁ結局代替ではあるのかもしれないが、現実の人間が俺に対して冷たすぎるし、俺が無能であることで実際にあらゆる趣味が楽しめるレベルまで到達するまでの時間的コスト・心的コストを考えればゲームこそが俺にとっての現実なんだよね、それを捨てるのはありえない、リアルの現実はコスパ悪い
リタイア民なら口座に貯まっていく数字を見ることを至上の喜びとせよ、それがなによりもストレス解消の楽しい娯楽にせよ
実際俺は毎日口座を見て楽しんでた、23歳の頃で1000万円超えてたからなにもない自分にとってはそれだけが自慢、同僚が豪華客船で世界旅行したとか車買ったとか彼女と結婚するとか、くだらない噂を横目に口座を見てウヒヒと陰湿に笑うことだけが楽しみという暗い青春を送っていた
会社の休憩中も大便トイレに座って携帯で口座を眺めていたね、怒られても仕事ができなくてもそうやって自分を奮い立たせていた
実際、自分の人生を好転させるにはかわいい彼女でもなくいい車でもなく、仕事をやめることが一番自分を幸せにできるという自信があったので金が貯まっていくというのはスゴロクでいうサイコロを徐々に投げていくことに他ならない
周りの奴らは豪華客船だの負担が増す家族を増やして、一回休みだの10マス戻るだのを繰り返してるわけだから愉快で堪らなくなる
真のゴールが見えているのは自分だけでそこに着実に進められているのも自分だけ、それを確認できる「口座鑑賞」を至上の趣味とせよ