セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

仕事はしたくないですけど、退職は何回してもいいです

どうもよよよです

「11年勤めた会社に退職を切り出す時はどんな感じでしたか?私も仕事を辞めるつもりなのですがなかなか切り出せず困っています」

どう切り出したか、ですか

いつも誰よりも課長は朝早く来ていたので、僕もその日は早く職場に行って、「課長、ちょっとお話があるのですが…」と誰もいない備品保管庫に呼び出しました

僕は時間ギリギリに職場に入ってくるのが通常だったので、その時点で課長は察していたと思います

変に遠回しにせず、まず「実は年末に会社を辞めようと思っていまして」から入り、辞める理由は、「母親が病気になり世話をすることになった」という嘘の理由でした

課長にとっても僕はいなくなって欲しい社員だったと思いますが、課長は立場上引き留めなくてはいけない立場だと思いましたので、引き留めづらい理由をこちらで用意することが最後の感謝の気持ちかなと…

というのは嘘で本当はちゃんと説明するのが面倒臭かっただけなんです…

「無職になって毎日ゲームするんだお!」とか言えないでしょう まぁ心のどこかで言ってやりたい気持ちもありましたが…

「今の仕事や人間関係が合わなくて…」とか言っちゃうと、「じゃあ別の職場で働いてみる?」と他の課に行かされたりするので、それは絶対にやめたほうがいいです

僕の元同僚は辞めたいだけなのにそれをやってしまい、課長を通り越して部長との面談、他の課での慣れない作業など、退職前にムダに手順を踏んで苦労して辞めていきました

やっばりどうせ嘘つくならあちらから突っつきにくい家族関係が良いです

10月の終わりに年末で辞めると告げたので、2ヶ月前に退職を切り出したことになります

工場の仕事、特に僕がやっていた仕事は明日から日雇いの派遣でまかなえるような仕事だったので、「あ、そう、分かった」という感じでした

一般的には3ヶ月前に退職を告げるのが常識とされているようですが、僕の仕事の場合2ヶ月前でも早かった、というのが実情でした

こういう時、難しい仕事なら引き継ぎとかで、ややこしい手間があるんでしょうね

数少ないダンボール係で良かったと思った瞬間ですね

確かに退職を切り出す瞬間は緊張しましたが、その後に待っているハッピーセミリタイア生活を考えると僕を止めることはできませんでしたね

退職を切り出してから有給消化までの仕事もすごく気楽で、卒業してからもたまに部活に遊びにくるウザいOBみたいな気持ちでした

「おっ、今日も張り切って仕事してんね?」という遥か高みから現役世代を見下してる感じです

そして、最後のタイムカードを押す瞬間、脳内麻薬がドパドパと放出され、僕は恐ろしい程の多幸感に包まれました

最近は「退職代行業者」なるものも流行っているらしいですが、あんな気持ちが良いものを大金渡して業者に代行させる意味が分かりません、だったら僕にやらせて欲しいものです

まぁ苦労した経験があってこそのあのカタルシスなので、他人がやっても気持ちよくないでしょうけど

仕事はしたくないですけど、退職は何回してもいいです 僕の人生で何度も退職を経験できなそうなのが惜しいぐらいです

ぜひ勇気を出して僕と同じ素晴らしい体験をして欲しいと思います

それにしても、そのわずか1年前、鮮烈だったはずの退職の記憶もなぜか遠い過去のようです

ブログに残しているので見返せますが、僕の脳も労働者としての苦い記憶を削除しにかかっているのかもしれませんね

皆さんもブログかなんかで退職の記録をつけておくと後でいい思い出になるかもしれません

脳の容量から苦い経験は消え、これからのハッピーセミリタイア生活を記憶するのに使っていく…