セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

野生動物を参考にして生きよう

どうもよよよです
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日雇いの仕事を探してたのは杵築市にどんな日雇いの仕事があるかブログのネタになるかと思っただけで、別に無職生活で鬱になったとかではない、「杵築市には日雇いの仕事はあまりない」という事実を知った今ではもう探してない

たまにこうした「リタイアしましたが、また働きたくなっています」という読者がいるが、ある意味羨ましいなと思う

きっと大して労働が苦ではない健常者なんだろうな

百歩譲って無職生活に飽きたとして、それぐらいであの毎日決まった時間に起きて同僚の冷たい視線を感じながらつまんない作業をさせられる地獄の日々に戻りたいだなんて理解できない、週二も無理だね

このブログではこの議論の結論が出ているんですが、そうしたリタイアした人間が「リタイア飽きた」「退屈だ」と言い始めるのは社会に取り残された気持ちになって「寂しい」と感じているからなんですよ

あなたが感じているのは退屈ではなく孤独感です

なので、まぁ素直に働くのもいいですし、無職友達、恋人を作るのが簡単な解決方法でしょう

杵築市なら無職友達を見つけるのは簡単なんですけどね、杵築市に来れば万事解決

まだ俺はその感情を体験できていない、まだ誰とも会いたくないし社会に参加したくない

この感情も歳を経れば変わる日が来るのだろうか?

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医者かぁ、いいね、バイトも引く手あまた

ポイ活はする必要ないんじゃないか?ポイ活は何も技能を持ってない無能人間が仕方なくするものであって、ポイ活は基本的に時給ゴミ

たまに医者が1日バイトするだけでポイ活半年分ぐらい稼げるだろう

人間は猫やゴキブリと同じ?さすが頭が良いだけあって本質的なことが見えているね

高尚な理由をつけて、運命的な出会いからの結婚から出産の愛ある家族、やりがいのある自分にしかできない仕事?

それらはすべて虚構だ幻想だ、「早く交尾をして繁殖しろ」「メシを食うために動け」

本能からくる実に単純な電気信号を自分の都合のいいように演出し、自分だけの素晴らしいストーリーであるかのように錯覚している

実際はあなたの言うとおり、虫や動物と同じことをしているだけだ

しょせん幸福とは脳内麻薬の分泌に過ぎず、たったそれだけのことを満たすのに世間の人間は遠回りしすぎだ

社会的なプレッシャーやうんざりする人間関係、過剰な努力、そうして苦しんだ結果、「自分は苦労があったからいい出会いがあって素敵な配偶者に恵まれた」「仕事で苦労したから良い家に住んで会社でも尊敬される」とそう思わないと幸福を感じられない

そこまでしないといけないのは「苦しんだ過程」があるからだ、苦労という代償を上回る幸福を得ないと満足できなくなってしまう

最後に得られる成果の大きさばかり気にしてしまうが、人生とは差し引きだ

ならば、苦労や人生のマイナスを一つずつ取り払っていき、ハードルを下げる事で少しの幸せでも人は幸福を感じられるようになる

どうせ本能の電気信号には逆らえないのだ、本能に従うなら直接的にやろう

雨をふせぐ壁と屋根があって食欲睡眠欲性欲、それらを自前で簡単にインスタントに十分済ませるだけのテクノロジーはすでに現代にすべて揃っている、ときおり散歩でもして爽やかな空気を感じれば簡単に幸福は得られるようになる

それはあたかも野生の動物のように、好きなときに寝て、食って、好きなところへ出歩ける、それで十分なはずだ

高尚な理由をつけて余計な苦労をしょわせる社会を生きる必要があるか

遠回りの苦労をして自分への幸福のハードルをやたら大きな物にしないよう気をつけるべきである、野生動物を参考にして生きよう