セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

俺は実家では客人になってしまったらしい

どうもよよよです

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どちらも外れた、ファミマは特に当たらない気がする、裏切り者リストに追加だ

 

杵築市を離れ実家に帰省しています

親に還暦祝いのプレゼントを渡した、両親の名前入りの夫婦箸にした

(昨年父親の不倫がきっかけで夫婦で冷戦状態に突入したことへの改善を願って)

あと還暦祝いの一貫としてレストランでハンバーグステーキを家族に奢った

これで帰省中の俺がやりたかったミッションは完了しているが

実家に帰って暇なわたくしに対して、気を使って親や兄夫婦は色々イオンとか外食に連れてってくれるわけです

そうしたもてなしというのは嬉しさと有り難い反面、明らかな客人として家族内で処理されてるような意識もあり、どこか居心地悪い

本来家族サービスをしなくてはいけないのは俺も同じなはずの年齢で、ただこうしてもてなしを受け入れるだけでいいものなのか?

もう少し実家では自然に放置してほしいというかゆっくりしたいんだけどな、まぁただそれでは済ませられない、息子をもてなしたい気持ちも分かるので何も言えない

「家でゆっくりお茶でもしましょうよ」とは最初にいったのだが、「遠慮するな」と数年ぶりに帰った息子をどうにか楽しませたい親の気持ちを無碍にすることもできず黙ってあちこちついていき、「食べたいものあるか?」「行きたいところあるか?」そういった質問に対して「ないよ」と言うと両親が悲しい顔をするので、回答に非常に苦慮する毎日である

別にもう俺はイオンに行って嬉しい年齢でもない、気軽になんでも食べられないお腹ぽっこりおじさんなのだ、おまけに地元の友人とも疎遠だ

まぁ俺も思考が孤独セミリタイアに標準化しすぎてこうした家族の団らんに放り込まれると「自分の居場所ではない」と勝手に疎外感を感じてしまう、めんどくさい人間化してしまったのもある

俺もなるべく楽しむ努力をして、素直にもてなしを受けることが親孝行だと思ってここは我慢我慢だと自分に言い聞かしている

長く離れていたせいで俺は実家では客人になってしまったらしい

俺のことを嫌いなはずの義姉も気を使って話を振ってくれる、「大分県はどうですか?」絶対に興味なんかないはずなのに話題を絞り出して和やかな空気作りに協力してくれる

「仕事はどうですか?」とか「彼女とかできましたか?」の質問は俺には無効属性なので、社会に参加せず毎日ゲームしかしていない30代男に対して話題を作り出すのは至難の業だ、義姉が一番聞きたいのは「なぜそんな生き方をしているんですか?」だろうがそんな事を聞けるはずもない

もう杵築市に住んで5年にもなるのに友達どころか知り合いの一人もいないということに対しては流石に「ほんとうにずっと部屋で一人でいるの?えー…」と義姉も引いていた

すると自然と姪や甥の話になる、夫婦にとって子は鎹(かすがい)とは言うが、家族間にとっても鎹だな

それぞれの大人の面倒な事情からひとまず目をそらして「子供の成長」というポジティブな話題でその場を明るくやり過ごすことができる

俺もずっと放置しているくせに、いかにも興味津々な感じで姪や甥の話題を振った…

まぁ全面的に俺が悪い、こまめに帰って関係を維持していれば過剰に意識させてしまうこともなかっただろう、勝手に気を使ってしまうのは俺も同じだ

帰れる家があるだけ恵まれているのはまったくおっしゃる通りだが、俺は早くも大分県に戻りたい