セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

はじめの感想は「刑務所」でした

どうもよよよです

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工場で働いていたとき会社の借り上げアパートが寮になっていて家賃一万円でした

そのアパートはレオパレスで壁は薄くて隣の同僚の情事の音は聞こえてくるわ、フローリングではなくて剥がせない、こ汚くゴワゴワしたカーペットが敷いてあるタイプの床のせいで年中ダニはいるわ、すぐ近くの狭い道路を大型トラックが通るせいで夜中に地面が揺れて目が覚めるわ、ロフトスペースがある無駄に縦長の部屋のせいでエアコンつけても全然効かないわ、あまり良い環境ではなかったけど、一人暮らしの家賃相場4万円ほどの地域で1万円寮の存在はありがたかった

当時とにかく家を出たかったんですよね、実家が狭くて、常にいつでもちゃぶ台囲んで家族と和気あいあい状態、家族がいないうちにピンク動画見るのもビクビクですよ、年頃の18歳男子が我慢できるわけがない

アパートがあまり良くない環境でも何より自分だけの空間が嬉しかった、初めての一人暮らし、いったいこれから自分にどんなことが待っているのだろうか?そんなふうに僕にも初々しくある程度希望に満ちている時代があったんですよ?まぁ働き始めて社会のクソな現実を思い知って工場とアパートとのあいだを無限に行き帰りを繰り返す日々にすぐに死んだ魚の目になりましたが

実は家賃1万円より安い選択肢もあったんです

入社後、工場見学、オリエンテーション、そういったお遊びのような、というよりお遊びそのものの2週間ほどの新人研修のあとに、会社側から「それでキミ達は工場見学した中でどの工場に働きたい?」とその地域に複数ある工場のなかで自分が今後勤める職場を選ぶ機会がありました、希望を書いて提出しろ、とのことです

当時はリーマンショックの影響が出る前で会社もそこそこ景気が良く、ある程度は希望を聞いてくれる余裕があったのです

僕は工場の場所とか仕事内容なんかどうでも良かったんですよ、工場の仕事なんか似たりよったりだろうと思っていたし給料も同じです

それより問題は寮でした

三つ工場の選択肢があって、ひとつは僕が最終的に行くことにした借上げアパートの家賃1万円寮がある工場、光熱費は自分もち

そして、もう二つの工場の寮は家賃は6千円なうえに水道光熱費もタダ!寮から工場へ直行の社用バスも出ている!寮敷地内に安い食堂もついている!

なぜそんな好条件な住居なのに選ばなかったのか?それが、アパートとかではなく完全に「寮」だったんですよ

かろうじて個室はあるものの、それ以外全て共有です、大学の学生寮とかがあんな感じなのかもしれません

入り口に寮母さんがいるタイプの、風呂、食堂、洗濯場所、トイレ、キッチン、全て会社の同僚と共有の寮です、それが当時の繊細な自分には耐えられなかった

見学に行った際、その寮に抱いた最初の感想が「刑務所」でした、ついでに工場の仕事という刑務作業もあるし、まさしく刑務所

「やっと実家を出られたのに何が悲しくてこんなプライバシーのかけらもないところに住まなくてはいかんのか」

と、もちろん当時から金を貯めてのリタイアを目指していたわたしは少しでも安い家計を目指すべきだったのですが、たまらず家賃1万円の借り上げアパート寮がある工場を選んでいました

その刑務所みたいな寮ではなくて本当に良かったと思います、刑務所寮では耐えられずすぐ退寮することになって自分でアパートを借りざるを得ずかえって高くついたはずです

まぁなので、よよよリタイアルートを辿ろうと工場の寮に入ろうとしても…寮と言っても全て同じではないので事前に調べることをおすすめしますよ

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人間として強い、ではない、世間の人と比べてなにかが欠落している感じがする

長年の自己分析の結果わたしは自己愛がハチャメチャに強いという結論に至った、他人との共存は結局のところ、自分が折れなくてはいけない場面だらけで自己愛が強い人間には耐えられない

他人と一緒にいると、自分の思い通りではない他人の動向を伺ってしまい、非常に疲れる

友人恋人同僚、今まで出会った全ての人で「この人と一緒にいると安らぐなぁ」なんて思ったことは一度もなかったのだと思う、人と遊んでいると心のどこかで「早く帰りたいな」とずっと思っている

その他人が悪いのではなく自分がそういう人間なのだ、安らぐのは常に自分一人のときだけだった

実のところ、家族もそうで、父も母も兄も、家族は自分の理解者ではない、いや、家族こそ真の理解者にはなりえない、家族だからこそ言えない事もたくさんあるからだ

恩や愛情はあるが、それのせいで多くの感情を心にしまわざるを得ない

その論理でいくと最初は自分を理解してくれる人間でも、仲が深まるにつれ理解から遠い人間になる、理解者と共に生きるのは不可能、ということになる

本当の理解者とは近しい人間ではなく自身とはまったく利害関係のないところから探さないといけないのだと思う

それは真面目にやろうとすると大変な苦労を伴う、だが、今の時代、それはブログやSNSで十分なのだ、少なくとも俺はそうだ、それが承認欲求であり人間には少なからず必要なことだ

なにも別に承認欲求は世間で言われるような悪いものではない、アイデンティティの確立には必要だ、なんでもやりすぎが良くないというだけである

自分を客観視なんて、どうしたってできないのだ、必ず自分への評価には他人の目が必要だ

安らぎは孤独の中にあり、あと必要なのは利害関係のない、自分をえこ贔屓にも目の敵にもしない公平な他者の目であって、自分自身が群れのなかで生きることではない