セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

仕事中のサボり時間などという質の悪い自由で満足な人間が羨ましい

どうもよよよです

 


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そうして、悩む機会を得たということです

医療関係者ほど労働問題に真面目に取り組むべきです

自分の仕事で自分の時間や自分の健康を犠牲にして不幸にしてたらどんな仕事だろうが社畜ですよ、あなた達が自分を投げ打って仕事をするほどに、それが労働基準となって同じ看護士さんが「他の病院も同じ人数でやってるんだ!」と無茶を言われるんですから

特に医療関係者は人を救う聖職であるという世間の押し付けのせいで辛い環境に立たされていると聞きます、それに屈してはいけません

わたしもいくら聖職と言われる立場だろうと看護士医者だろうが消防士だろうが教師、総理大臣だろうがどんな人間に対しても無理に働いてる人間を社畜と言い続けます

その場を取り繕うだけの優しいだけの言葉には意味がない、傷ついたとしても強い言葉でも異常性に気づかせないといけない、殴るこちらの手だって痛いんだ

医者看護士だって患者が不健康なことをしていたら時には強い口調で叱るでしょう

あなたが人の身体を治すことに努力しているなら、わたしのほうはおのおの本人の労働問題に気づいてほしい一心からです、これからも聖域なく健やかなリタイアの光ですべての社畜を照らします

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そんなことはない、労働時代の特に後半では俺はかなりサボったりしていたし、いかに仕事を振られないか考えていたから

しかし、どれほどサボっていても、せいぜいできて昼寝をするくらい、精神的身体的に会社に支配されたガチガチの拘束時間であることには変わらないんですよ

世間の今の仕事サボれるからやめたくない(笑)と言ってる人間はそんな「かりそめの自由時間」でいいわけ?ましてや時間外まで延長して会社でサボれるとか、よほどプライベートでやることの無いつまらない人間なんだろう

俺から言わせればサボりの志が低い、俺が求めるのは極限の自由

仕事中サボれると言っても、その時間お前は裸になって寝転がって、家族に見せられないタイプのオナニーができる自由があるのか?できないならそれは自由な時間でもなんでもない、下品だが極限の自由を言語に表すとそうなる、プライベート100%自身を解放できる時間が持てるのか?獣になれるのか?ということ

俺はいつでも純粋な100%の自分の時間をもてなくては気がすまない、それには仕事を辞め、社会からドロップアウトするしか手はなかったのだ、サボれる仕事なら続けてられるでしょという指摘は浅い

仕事中のサボり時間などという不純物の混じった質の悪い自由で満足できる人間が羨ましい、俺はもっと純粋に堕落したい


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生活保護受給者に憧れたことはない

リタイアしたあと長い無職生活になるが、そこからは誰も頼りにできない自分の中の戦い、プライドバトルになるんだよ

自分の生活を自分で成り立たせているという実感が、より無職生活を奮い立たせる

社会を営むうえでの精神論は俺ももちろん嫌いだ、企業理念だとか仕事はド根性とか努力友情勝利!とかヘドが出る、他人を都合よく操るための言葉だ

しかし、反転して何もしない無職こそ精神論なんだよ、なにもしないに足るだけの自身への力の証明が必要なわけ

それが節約などさまざまな知識だったり、無職へ至るまでの考え方だったりする

その哲学も証明もなにもなくいきなり生活保護で無職に突入したとして、他人に生かされているんだとどこか卑屈な人間になってしまう

裏付けされた努力、折れない心、克己心、自分にはこの愉悦を楽しむだけの資格がある

努力した人間だけが後ろめたくない良き無職生活を楽しむ事ができる、無職こそ精神論なのだ

まぁある意味、真の無職というのはプロアスリートに近い精神性を持っていると言えるね


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40年働きましたなんて自慢気に言うことかな?そのぶん自分の時間を犠牲にしてるやん…

と働いてる人間にオウム返ししてもいいかな?

ちなみに金を貯めるのはつまらなかった、仕事が楽しいワケがない、仕方のない機会損失だった、働いていた時間は人生の汚点だ

よく口座の数字が増えてくのが楽しい〜とか言ってる人間がいるが理解できない、そのぶん仕事でストレスで寿命を削り楽しい時間の機会損失してるのに

おっしゃるとおり貯金は他人に自慢するようなものではない、そのぶん自分を犠牲にしたという証明、身体中についた傷跡の数のようなものだ

資産を晒していたのは、以前から言っているがただの「客寄せパンダ」だ、リタイアブログとしていくらの資産額でリタイアしたというのは読者が一番気になるところ

資産晒しをすることで他人の金の話に目のない世間を釣り導入とする

さらにそこへ無職生活で学んだ含蓄のある記事でもってブログに定着させ、特に進展のないループ日記でお茶を濁し、広告費としていくらかリタイアの足しになればいいと若い当時の俺は考えた、それもまたお金の道具としての使い方だ

そう、俺は徹底的に自分が所有してるあるものは使う、自分の手札を油断なくすべて使って人生という名のゲームに勝利するのだ、出し惜しみはしない