どうもよよよです
長文アンチメールを送ってくる暇人の中には、僕の節約生活やセミリタイア生活そのものが「自己満足」だと揶揄する人間もおります
辛い仕事から逃げ出し田舎の安アパートに引っ込んで、平日の昼間も1人、部屋でテレビゲームをして過ごす僕のことを幼稚な自己満ヤロー!だと言い、批判する者がいます
まぁそんなアンチを華麗に論破してあげると、そもそも「自己満足」が批判になっていると思っている時点で「他人の目に縛られた人間」の考え方なんです
自己満足、いいじゃないですか
自分が満足するだけ!他人にはなんにもメリットがない!
…?一体なにが悪いのでしょうか
それは僕が目指すべきスタイルです、むしろ褒め言葉といっていいでしょう
自己犠牲がカッコいいなんて考え方は今どきダサいですよ
他人のために行動する、それこそがアンチが言うところの「自己満ヤロー」だろう、と僕はあっさり看破してしまいます
マンガやアニメじゃ自己犠牲はカッコいいものなのかもしれませんが、我々は現実に生きているのですから貪欲に自分の欲望に正直に生きるべきで、それを良しとするべきでしょう
自分を幸せにできない人間が他人を幸せにできるでしょうか?わたしはできないと思います
まさにこのブログがそれを表していますよね
僕が充実した幸せなセミリタイア生活をブログを通じて見せることによって、イマイチな人生の読者の皆さんに幸せをおすそ分けできる
僕が幸せだから皆さんも幸せなんです、ここまではOK?
皆さんが思う「自己満足じゃいけないんだ!」という卑屈な発想はやはり、長い社畜生活によって育まれたものだと推察します
会社のヤツらは「これで金もらってるんだろ?」を盾に理不尽を要求してきます
理不尽に応えていくうちに、皆さんは自分よりも他人の幸福を願うことが人のあるべき姿なのだと、矯正されてしまったんです
言いにくいですが、皆さんは他人の目の奴隷です
人から良く思われたい、そのために自分の心が叫んでいる欲求をないがしろにしてしまっています
きっと皆さんは行動には全て社会的な意義がなくちゃいけなくて、自分以外の誰かに認められなくちゃいけないと思ってるんだろうなぁ…
仮に自分以外の世界中の人に認められても、自分が自分の生き方を認められなければその人生は不幸以外の何物でもないのに…
僕は去年まで自分の生き方を認められませんでした、今はセミリタイアしてやっと夢だった自己満ヤローになれつつあります
皆さん、自己犠牲大好き人間はマンガやアニメの主人公に任せて、皆さんは「自己満ヤロー」を目指してみませんか?