セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

数十年後、俺は孤独と貧困に苦しんで死ぬのだ

どうもよよよです

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前提がよく分からないのですが単身無職で老人になると、人は希望を失ってしまうのですか?

他人と暮らして一生働く生き方は僕は向いてないだろうと思ってこの生き方を選んだわけなんですけども…

もしこの生き方にも絶望してしまったら?

もうそれは僕が人間に向いていなかったんでしょう

来世は微生物かなんかに産まれるように努力します

それよりもちょっといいですか

やっぱり皆さんネガティブな質問があまりにも多いです

「孤独」「絶望」「貧困」

僕に意見質問する時はこれら関連のワードを入れなくてはいけない縛りでもあるのですか

そのワードを入れると、どこからかお金が振り込まれるのですか

「何十年後、1人孤独で寂しくなったら」「生き方が失敗したと気づいたら」「お金が足りなくて食べる物が無くなったら」

知るかよ、て感じ その時の自分がなんとかするだろ

こういう生き方を選んだ以上開き直って楽しむしかないでしょ?

別になんでも質問してきていただいていいんですが、僕は皆さんが心配ですよ

何十年後僕がどうなってるかは分からないですが、間違いないと思うのはネガティブな発想の人間は何をしても楽しくないだろうということ

「数十年後、俺は孤独と貧困に苦しんで死ぬのだ」と考えながら生きるのが何が楽しいのか

そうならないように、副業に手を出したり節制したり俺は努力している

やることをやったら、人事を尽くして天命を待つ、ですよ

僕は辞める前に「辞めたあと人恋しくなっちゃったらどうしよう?」なんて考えたこともなかったので、その手の質問の多さに驚いています

とにかく人から離れたい思いが強すぎて人が多くない住処に引っ越してきて良かったと思ってるぐらいです

なんだか皆さんってせっかくセミリタイアしても、「うわー、なんで俺は会社を辞めてしまったんだー」とか言って毎日頭抱えてそうですよね(笑)

いやーね、ウチの読者って陰気なのが多くて

まぁ結局、そういう人達は会社にしがみつくのが幸せなんだと思いますよ、たとえ仕事が嫌でもね

皆さんは籠の中の鳥、籠の中で、「この籠は狭くてエサもマズイよー」と文句を言っているのがお似合い

大空を自由に飛ぶ僕を見て「いいなー」と思いつつも(でも外は危ないしエサも貰えないから…)とどこかで籠の中にいることを安心している自分がいるのでしょう?

それでいいじゃないですか

それぞれの生き方があります

僕もいつか飢えて小ガニを食べに堤防へ行った時に、防波堤ブロックの暗がりに滑り落ち、3年後フナムシの巣となった白骨死体が見つかるかもしれません

でもそれでもいいと思っています

10年でも20年でも、自分の元気なうちに思う通りに生きられればね

そのために僕は今日もゲームのコントローラーを握りしめます

陰キャラ読者のように、数十年後を勝手にネガティブ予想して発狂しているヒマはありません

人間生きて死ぬだけ、余計な心配をする暇があるのなら少しでも前に進みたいものです