29歳からの貧乏セミリタイア 人生よよよのブログ

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俺が社会に合ってないんじゃない、社会の野郎が俺に合ってないのだ

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どうもよよよです

こんな生き方をしてるとたまにアンチ風ファン読者から「社会不適合者」というレッテルを貼られることがあるんですが、実はその言葉に対してそこまで「悲しい」とか「なんだと!?」という感情は湧いてきたことはないんですよね

僕が「ふーん」と思っていると、その言葉に対してファン風ファンが「よよよさんは社会不適合者なんかじゃないですよね!?」などと僕の代わりに怒って反論してくれる事もあるけど、「それもなんか違うなぁ」と思っています

僕は社会不適合者、そうだと思います、だって合わなかったですから

適合は間違いなくしていませんでした、適合していたらまだ働いています

社会に適合しようとした事もあったけど、辛くてしょうがなく他人と同じように生きるのは難しく感じセミリタイアを目指した、日本社会不適合者ではあったが、貧乏セミリタイア適合者だったので、今は幸せに暮らしています

ただ、合う、合わないは個人の価値観の問題なので、合わないのは別に悪いことではない、ってことですよ

特に今の日本社会は全体主義の毛色が強く、自由を望む性格には合わない人も相当数いると思います

社会に合わないなら合わないで別にいいじゃないですか、そういう人は別の生き方をすればいいだけ

なぜ「合わない」ということが悪口になってしまうのか

それをあたかも悪口と捉えてしまう世間に対して僕は違和感を覚えてしまうのですよね

それがまさしく、今の日本社会を生きにくくしている正体というか証拠だと思います

合わない事は悪いことなんだと、俺は私は、社会に当てはまって生きていかねばならないのだと皆が皆が思ってしまっている

「悪口は自分が一番言われたくない言葉を言ってしまう」と言いますから、「社会不適合者」を悪口として用いてしまう人は、今の社会に適合しない、見捨てられる事をとても恐れているんでしょうね

さぞや息苦しいのだろうなと思います

もしかしたら「自分には合わない」と思っていながらも社会から見捨てられる恐怖から歯を食いしばってストレスを抱えながらも頑張って今の状態をギリギリ維持しているのかも

だから自分が一番言われたくない言葉、「社会不適合者」を気に入らない人間に向かって放ってしまう

なんだか、僕はその人のことほうが心配になってしまいますね

まぁ、そういう人は自分と自分の属するコミュニティの同一化と言いましょうか、「社会に捨てられたら終わり」だという錯覚に見舞われている

コミュニティは個人がより良く生きるための道具として有効に使えばいいだけのもので、自分に合わなければ合わないでいいし、抜けたら終わりだという事もありません

合わないということに対して、悲しみも怒りも感じる必要はなく、また新しいコミュニティを探すか、個人として生きればいいだけ

社会不適合者でいい、社会不適合者が自分らしく生きられるならそれはそれでいいことです

日本社会不適合者はそんなに悲観するようなことではない、くだらん精神論がはびこっていて、だいぶ厳しいことになってますから

社会不適合者が無理に適合して生きる、それだけは避けるべきことですね

もっと自分を認めましょう、俺が社会に合ってないんじゃない、社会のヤツが俺に合ってないのだとね