セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

ハラスメントではなく気の利いたコミュケーションだと思っているんですよ

どうもよよよです


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明らかにパワハラらしいパワハラはなくなっていってるように思いますが、それでもまだ出てくるのは、本来、ただのつまらない中年に過ぎない人が「こんな突っ込んだ話題ができる俺って面白い!」と勘違いした結果、パワハラやセクハラになるケースが多いように思います

本人はハラスメントなどとは思ってないんですよ、気の利いたコミュケーションをしてやってるんだと思ってハラスメントをしているんです

なにせ職場の人間とは話題がないです、毎日会っていてすぐ話すことも無くなるし最近の人は同僚とプライベートの共有をしたくない人が多いですから、話題の材料になることが何もない

だったら話さなきゃいいじゃん、と思うのですが、そこを「よし、職場の空気改善に俺がいっちょ一肌脱いでやるか!」と余計な気を利かしてしまう、それが悲劇の始まりです

「お前、車買わないのか?そろそろ金貯まってきただろ!なに?家にいることが多いから買う気はない?ダメだなぁ、若い頃は借金してでも遊ばないと!」

「〇〇ちゃん、結婚は早くしたほうがいいよ!今はいいけどすぐ男なんか寄って来なくなるよ!〇〇ちゃんならちょっと誘えばすぐいい男捕まえられるでしょ!ガハハ!」

こういう発言をハラスメントではなく楽しいコミュケーションだと思っているんですよ、楽しいのはお前だけだよと誰かが突っ込んであげなくてはいけません

つまらない素人がテレビ芸人の真似をして、人の内側に突っ込んだ話題をして周りが不快な気持ちになっているのは見るに堪えません

いちいち笑いを取らなくても、普通に会話すればいいのに…天気やコロナの話題でも適当にしておけばいいんですよ

気の利いた話題を振れたり面白いだけが人の魅力ではありません、寡黙だとか落ち着いた人になれば良いのにつまらない中年はそれがつまらないことだと分からないからつまらない事を言い続けて、そのうちラインを超えてハラスメント問題に発展するんです

面白い下ネタは僕も好きですけどつまらない下ネタとか地獄ですからね、軽蔑99%のリスク高すぎる諸刃の剣なのに気安く使う人間は多いです

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恐らく一つの理由ではない、複合的な理由で娯楽に集中できないのでしょう

やる事がたまっている、疲れが溜まっている、おっしゃるように同年代は婚活やら仕事に人生に向き合うことに勤しんでいるのに自分はこんなゲームで作り物の美少女に恋してていいのか、そういう脳裏に感じる焦り

同年代の読者からのこの手の質問は多いです、30歳になったら急にゲームが楽しめなくなったと

話を聞くと、時間がないというわけではないんですよね

時間があってもどうも面倒さを感じてゲームの電源を入れるのを躊躇してしまうと

そんな娯楽を楽しめなくなった大人が暇なとき何をするかと言えば、ひたすら寝る事、もう悲しくなります

間違いなく精神的な「老い」

そもそもゲームなんて少年の頃は時間がなくても寝食の時間を削ってでもやったのですから時間がないとかではない

少年の頃はあらゆる事が未知でちょっとやそっとの事で感動したりしますが、もう無いんですね、自分の知らない衝撃的なことっていうのが…アクションならどこかでやったようなゲーム性、RPGならどこかで見たようなストーリーやキャラクターに見えてしまう、ゲームだけではなく映画も本も同じ、ああ悲しい

リメイク、リマスター作品が売れるのは、人々があの頃のゲームが楽しかった時期を取り戻したくてリメイク作品を求めるから

しかし人は一度老いるとその情熱が戻ってくることはない、リメイク作品でも同じで結局積みゲーへ…

僕自身はまだ楽しんではいますが、確かに少年の頃よりは熱中感は減っているかもしれません

そうやって老いてあらゆる事に無感情になって人は死に向かっていく…それが嫌で焦ってこの歳で婚活なんぞをして新しい刺激を求めて子どもを作ったりするのだろう

究極的には家族を作る理由すら「暇つぶし」なんだろうな、人間とは罪深い生き物です

話が逸れたが、俺の将来の娯楽?他人の創造する世界に飽きたら、自分が創造する側になるとかかな、売れない小説家にでもなって自分の世界を表現するのにやっきになってみるとかは、どうだ?ゲームに飽きるような自分がその情熱もあるかどうか分からないが

まぁ、今は分からないが、その時その時に興味があることをやっていくのだろう、そうやって死ぬまで暇つぶししていくのだ

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その感性はまっとうなものだと思います、多くの人はナマポなんかもらいたくない!と思わないといけない

最近は個人主義の隆盛で、「他人の目など気にせず自由に生きていこう!」という風潮がありますが、それと対をなす他人の目を気にする「恥の文化」も、古いと言われようが個々人で多少なりとも持っていただかないと全員ナマポで良いとなるので社会崩壊ですね

ここまで落ちたら恥ずかしい、のラインは人それぞれですが、さすがに日本人全員ナマポで暮らそう!と実行されては崩壊です

そのナマポに落ちないよう頑張ろうという上昇志向は社会が成り立つうえでは絶対必要で、しかしその上昇志向はあくまでも個々人で、自身に向けられる基準でないといけない

そうでないと当ブログにもたまに出没する「そんな生き方は恥ずかしい」という他人に向けられる無職叩きになって日本が弱者に厳しい住みにくい国になってしまいますからね

他人の目を気にする恥ラインは多少なり持ちつつも他人にその基準を当てはめない、その意識の持ち方は難しいと言えます

まぁナマポの大前提として、もらいたくない、もらいたいという感情以前に、もらわざるを得ない、という状況ということですから責めても意味がないんですよ

その時点で本人も十分恥をしのんで申請までいってるんですから、そこまでいったら「恥ずかしくないよ」と言ってあげる度量が必要です

そういう他人を責めるということは、「弱者になった時の自分」を責めていることで自分で自分の生き方を狭めているだけです

ナマポが社会の安定した安心材料になるかどうかは、恥の文化の継続と他人の生き方の尊重の上に成り立つ、非常にセンシティブな問題だと思います