セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

人命が関わる聖職でも社畜は社畜です

どうもよよよです

新型ウイルスで帰国者対応、内閣官房の男性職員が自殺か

埼玉県和光市の施設で、中国・武漢からの帰国者を受け入れる業務に携わっていた内閣官房の男性職員が死亡し、警察は自殺とみて調べています。

新型コロナウィルス対応をしていた公務員の方が亡くなったとのニュースを見て、この国の病魔はウィルス以外の別のところにもあるなと悲しい気持ちになりました

この亡くなった方がどういった理由でこの世を去ったかはまだ分かりませんが、まさに武漢市からの帰国者の宿泊施設で起こった出来事、またこのタイミングでのことなので、年末からの泊まり込みの帰国者対応で疲弊した心身が正常な判断を失わせたのも原因のひとつとしてあるのではないでしょうか?

だとするなら、また労働によって尊い命が失われた、ということになります

いかに緊急時であろうと労働で人が死ぬなどあってはいけません

「よよよさん、病院関係者や災害の際に昼も夜も無く働く人に対してもあなたは「社畜」と煽るのですか?」と以前に読者から言われたことがあります

その質問に対しては、あえて僕は「はい、分け隔てなく社畜です」とお答えしたいと思います

よくいるじゃないですか?こうした緊急事態に時間関係なく働いてしまう人に対して「まぁ人命に関わることだからしょうがないよね」などと言って「聖職」とかいう意味不明なジャンル分けをして、法の保護から除外しようとする人

そうした緊急時に尽力する人には僕も尊敬、憧れしかありません、しかし何かで見ましたが「憧れとは理解から一番遠い感情」なんですよ

「うわぁカッケェなぁ!そんな長い時間働いて!俺にはとてもマネ出来ねぇや!聖職だもんね!特別なんだなぁ!」とその時点で理解・共感することを止めてしまっているのですから

能力やその仕事に対する情熱はいかに特別に凄かろうと、人間という生き物に限界はあります

そこを特別にしてはいけないのです

その仕事がいかに社会的に価値がある仕事であっても人間の限界を超えて働こうとしている人に対して、世間の人々の目はドライであるべきです

「まぁでも、やってることは社畜だよね、いい加減休みなよ」と誰かが言わなくてはいけないし、そんな働き方をさせようとする使用者に対して「どんな仕事であろうと、そんな社畜のような働かせ方をさせるな」と怒らなくてはいけません

働いている人達も等しく人命なのですから

「聖職だから」と見過ごされがちなそういった緊急時に活躍する方達に対しては尊敬や憧れの念があるからこそ、「おい!お前らは社畜だ!」と警鐘を鳴らし、無理な働き方は批判するべきです

そして、教師などにも使われますが一定の職業に対して「聖職」というクソキモい呼び名はやめるべきです

外野からのそういった勝手な押し付けがましい価値観は本人達には迷惑にしか思っていないでしょう

現場で働いている人間こそ、聖職とは呼べないもっと泥臭い仕事であることは痛いほど分かってるはずです

世間の奴らは「あれは聖職だから特別なんだ」とまつりあげることで、一部の業界が自分より過酷な労働環境で放置されていても関係ない顔でいられるように、自分の良心が傷まないように予防線を張っているのです

尊敬するのはいいが、理解や共感をやめてはいけない

この方の亡くなった原因は早急に調べて、もし労働環境が少しでも影響があるようならこうした悲しい出来事が起きないよう対応をしていただきたいと思います