セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

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「長時間労働も個人の自由」?いや、ダメでしょ何言ってんの

どうもよよよです

働き方の多様化、柔軟化を進める時代なのだから、定時後、人気(ひとけ)がなくなったオフィスで、気楽に仕事をするのが好き。

休日に、ほとんど誰もいないオフィスに昼から出社し、コンビニで買ったコーヒーとチョコレートを口にしながら、ダラダラと作業をするのが、意外と嫌いじゃないんだよな。

――こういった感覚を、本当に否定していいものか、と思ったりする。他人に強要するのはよくないが、そういう働き方の「嗜好」なのだと言われたら、どう反論すればいいのだろうか。

「残業好き」の人たちにとって働き方改革とは何なのか?(横山信弘) - 個人 - Yahoo!ニュース

働き方改革で働き方を多様化しようというなら、個人がどれほど長く働こうが自由じゃないか?そんな投稿がバズっていました

いや、ダメでしょ何言ってんの

そんな長時間労働する人間が一人でもいたら、流されやすい日本人労働者はそっちに流されるに決まってるじゃん

「長時間労働も個人の自由」論には、日本の労働者は法律の力を借りないと自分の意思で働き方を決めることができないんだよ、という視点が欠けてますね

働き方改革がなされるまでの歴史をたどれば分かることです

本来、働き方を自分の意思で考えられる人間なら働き方改革なんか無くても自分の身を守れるんですよ

でも残念ながら日本の労働者は自分の意思で働き方を決める事がこれまでできなかったんです、ただただ「お上が言うことは絶対」と言われるがまま働いてきた

そのせいで、大勢の人が過労死し、病気になり、ケガをしてきたんです

だから近年は国が出張って来て「やれやれ、しょうがねぇな、働き方改革するから長時間残業は一律して制限な」とお触れを出したんです

この一律して、というのが重要で、とにかく日本人は全体主義を重視して生きているので一人で抜け駆けできない環境作りが必須です

一人でも抜け駆けしてしまうと、「あいつに比べて自分は頑張ってないみたいだ」とみんなそっちに引っ張られてまた元の木阿弥です

日本人は勤勉などと称されますが、違います、叩かれないように行動するしか処世術を知らず、周りに合わせているだけです

自分の意思で働き方を決められない労働者に代わり、ようやく法律の力で抜け駆けできないようにして長時間労働をコントロールできるようになってきたのに、「長時間労働するのも個人の自由じゃないか!」という話はまだ早いのです

個人の意思で労働時間を決める、確かにそれもひとつの理想です、理想ですがまだ現実には即していません

日本労働者が個人の意思を尊重し、本当に他人の価値観を理解できるようになってからならば、個人の意思で多少は長時間労働をする事も可能でしょう

しかし、まだまだ働き方改革の理念が浸透しきっていない今の状況でその判断を個々に委ねれば、会社のお偉いさんに「労働時間を個人の意思で決められるのなら、なぜお前はもっと会社に貢献しようと思わないんだ?」と脆くも個人の意思は同調圧力の攻撃に押しつぶされて終わりでしょう

長時間労働する人がいるかたわらで定時退社する人を尊重できるほど、多様な働き方の一般化は進んでいない

現状は一律して制限するしか労働者を守る術はないのです、残念ながら特例を認める議論はまだ早い

労働はほどほどでいい人の意見ももっと尊重できないとまた同じことの繰り返し

もっと働きたい人は、働きたくない人の意見も尊重できるようになりましょう

そうしないと前に進むことはできないと思います

もっと言えば、働きたくない人代表の僕の意見はさらに尊重し、褒め称えるべきでしょう

日本人の進歩はそこから始まります