セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

同窓会って仲の良くない、平凡人生の集まりだと思います

どうもよよよです

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貧乏な家庭がどうかということは置いておいて、裕福な家庭の子どもは落ち着いた子になりやすいと思いますね、余裕があるというか

夫婦・家族ゲンカが多い家庭で育った子どもはヒステリックになってしまいやすいと聞きます、問題の解決策がキレる事だと学んでしまうんですかね

そして夫婦ゲンカの8割はお金のことだとも聞きます…だとすればお金の問題の少ない裕福な家庭は子どもも親のケンカを見ることもなく、のびのび余裕を持った子に育つのではないでしょうか

僕も何度か親がお金のことでケンカしているのを見たことがありましたが、やはり嫌なものです

高校の学費など教育資金が足りないと言われると、自分が悪いのかなと思っちゃったりね

そういう経験で人格形成に影響があることも否定できません

それでも僕のような人格者が育ったところからすると、必ずしも家庭が裕福かどうかだけではないかも知れませんが、少なからず貧乏は悪影響だと思います

なので皆さんが子どもを良い子に育てたかったら、まずは皆さんが裕福になってください

もしくは貧乏なら貧乏でドンと構えて家族を責めたりしないことです

この国、子どもいる家庭にはすごく優しいので飢えて死んだりはしないので大丈夫です

お得な制度は「子どもがいる家庭のみ」という注釈つきばかりで独身無職男性は羨むことばかりです

お金に振り回されない暖かい家庭を築いて人生よよよさんのような人格者を育てていきましょうね!

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20代前半の頃は誘いもありました…行きました

でも仲のいい友達は取ろうと思えば連絡を取れる環境だし、同窓会で会おうとしてるのって過去の自分が連絡を取らなくていいと判断した人達なので、実際興味ないと言えば興味ないですよね

まぁ気が合って仲が良いなら密に連絡取ってるはずで同窓会で久しぶりに会うって時点でそういうことですからね

そんな風に思ってたら誘い自体が無くなりました、僕もまた彼らにとっての「興味のない人」だったのでしょう、僕自身も自ら主催することなどありません

ここからは僕の完全に偏見なので聞き流して欲しいんですが、同窓会に誘われたら足繁く行くような人って、あまり話を聞いても仕方がない、興味がそそられない「平凡寄りな人間」な気がするんですよね

サラリーマンで、家庭があって、中古の家を買って…そんな心持ち落ち着いた人が「みんなはどうなったのかな」と聞きに同窓会に行く、というような感じなのかなと

反して、奇天烈な唯我独尊人生を歩んでる人は自分にしか興味がないので同窓会には行かない、話を聞きたいとすればそういう我が道を行く人達ですが平凡寄りの人達が集まる同窓会には来ない

自身の人生ではなく他人に刺激を求める人達の集まりが同窓会なのです、しかも前述の通り「普段連絡を取ってない、大して仲の良くない同士の平凡人生の集まり」ですから、あまり面白くないことは明白になります

読者の皆さんは同窓会で他人の人生のおこぼれに預かるのではなく、自分の人生を楽しめるようになりましょう

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うーん、なるほどね、無音の歯ぎしりというのもあるのですね

ただ、僕は本当に常に口をポカーンと開けて寝るタイプなんです、まぁこれも良くはないですけどね

起きると口がカピカピになってるので分かります

家族に聞いてもそうだったし、それで食いしばって歯ぎしりしてるとは考えにくいと思っているのです

たまに口閉じた時に短時間ものすごい勢いで歯ぎしりでもしてないと説明がつかない

だとすればマウスピースを買わないといけないが、まだ保留にしている

やはり普段、噛む力が強すぎるのが知覚過敏の原因かなと思っています

食への貪欲がそうさせるのでしょうか?そのせいで歯がすり減って痛むのではと考えています

ゲームで負けた時もギッ!となるのは控えめにしないといけません

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いや、親に迷惑をかけられたからということではないんです

貧乏人は貧乏セミリタイアするなら子は作るな、という考えは僕のあふるるセミリタイア精神からくるものですね

真の自由とは、自分の人生の責任は自分が取ることで得られると思うんですよ

それは自分が周りから影響を受けないための交換条件なようなもので、他人に依存したそのぶん自分も他人に影響を受けて自由からは遠ざかります

例えば、僕と同じ無職で毎日食っちゃ寝してても、女性のヒモになって女性に食わせてもらってる男はそこまで自由ではないと思うんです

自分の生活を成り立たたせるために女性に気を使ったり、自分への好意を維持させるというのはもはやサラリーマンの仕事並みかそれ以上に神経の必要な作業だと思います

自分だけで完結できない生活は他者の影響を受け続けてその無職体験も純度が下がり、自由とはほど遠いものになる

セミリタイアするなら他人への依存を可能な限り無くして純度を上げなければ良いセミリタイアとは言えない

そして、貧乏セミリタイアをしようとするにも関わらず子どもを作る人間、これはいわば自分の子どもに将来にわたって負担を負わせる行為で、自分の子どもに教育費をコジッてるんですよ、自分の子どものヒモになる行為

恋人のヒモになるのはその恋人自身同士での了解があってのことですから誰も責められることではありません

でも自分の子どものヒモになる行為はどうでしょう?子どもに拒否権ありますか?という話で、道理として非常に卑怯な行いだと思います

そしてセミリタイアする人間自身、そんな純度の低いセミリタイアでは、大して楽しくないだろう、という親心から僕は「貧乏な人間はセミリタイアするなら子ども作るな、もしくは作ったら子どもが不自由なく育つ金ができるまでは働いてそこからセミリタイア考えろ」そういう話をさせていただいた次第であります

ただ仕事から逃げれば完成というものではないのです、自由とは自身のことを自身で完結させることだと知りなさい

 

貧乏だけどセミリタイアしました!←良いね!どんな生活でも自分が納得して許容すれば良い話だ!自分の生きたい人生を生きよう!

貧乏だけど子どもを作りました!←素晴らしい!家族を支える意志があるならどんな仕事でも支えることはできる!応援するよ!

貧乏だけどセミリタイアして子どもも作りました!←なんだァ?てめェ…(よよよ、キレた!)