セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

分かってるよ、楽な仕事なんてないんだ

どうもよよよです

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老人見守りサービスとか見た感じ「楽そうじゃん!」と思いますけど、絶対見守るだけじゃ終わらないやつですよね

老人一人暮らしだから見に行ったついでにと買い物だの家事だの色々頼まれて、病院つれてけだの言い始めてほとんど介護してんの俺じゃね?みたいになるんだろうな

そうやって安い賃金でこき使われてある日、訪ねていったら倒れてて「見守りサービス使ってたのに発見が遅れた!なんのための見守りサービスだ!」、ちょっとでもあたふたしようもんなら「対応が悪かった!こいつのせいで祖母が死んだ!」などと全責任を負わされるんだろうな

安賃金で命の責任まで取らされちゃあ、たまったもんじゃないな

分かってるよ、楽な仕事なんてないんだ

だったらせめて人間相手じゃない仕事がいいな、もし働かないと死ぬと言われたらやはり工場でいいよ

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それは一定の周期で確実にあるね

以前言ったアメリカのヒッピーもそう、日本でも無職とはちょっと違うが正社員のガチガチの働き方より自由のほうがいいよねとフリーターが流行った事もあったでしょう

人間って大衆になると途端に不器用になるから、社会の方向性として仕事とプライベートどちらか両方を少しずつ両立させるってできないと思う

つまり目指す方向として極端になる

とことん働く社畜時代では自殺者やうつ病を出し、働きすぎは良くない!などと言って、急ブレーキを踏んだと思ったら「FIREという新しい生き方!」などとメディアが煽ってバカな若者が釣られ、無職時代になり今度は働き手不足で社会問題になる

社畜時代にせよ無職時代にせよ、より先鋭化させ、人気者になろうとしたりビジネス化を目論む奴らがいるから加速するんだろうと思う

どちらかに加速していく論調の中では「休みも仕事もそこそこやりましょうよ」という正論を言っても中途半端な意見として見向きもされない

社畜時代が先鋭化し、人々のやれやれ感が高まってくると「29歳でセミリタイア!まだ君たち働いてるの?」などと極端な事をやり出す奴が出始め、革命児としてもてはやされる

そんなしょうもない事の繰り返し

人は「豊かになりたい!」と「ダラダラしたい!」と両方の欲望を持ってるのでこれからもその欲望の間を揺れ動いて時代は繰り返すだろうね

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僕もそうなのですが、些細な事で怒るのは気が小さい証拠なんですよね

よく怒る人は負けん気が強くて気が大きい証拠だと思われているかもしれませんが、嫌なことを言われる前に言ってしまおう、やられる前にやってしまおうと先制攻撃で弱い自分の身を守ろうとしてるだけなんですよ

勝手に過敏になっている可能性があるので、大半の人間は自分には興味が無いんだと知ることが大事です、皆自分のことで精一杯でいちいち他人の事など気にしていません

そして、自分自身も過敏になってるだけで実はそんなに他人には興味がないということも意識しましょう

本当は興味がないのにそんな人に嫌われたかどうか気にするなんてバカらしくはありませんか?

さらにいうと仮にですよ、嫌われたとしても相手も立場ある社会人で露骨な事などしてきません、嫌われても別に大きな問題はないんですよ

そんな小さい人間関係の中で嫌われたからなんなんだ?自分の価値が決まるわけではない、という広い視野を持っていれば他人の一挙手一投足が気になってイライラするような事はなくなるでしょう

今いる場所は実に世界の狭い範囲での出来事なんだと広い視野を意識してみてください