セミリタイア老師 人生よよよのゆったり余生セミリタイアブログ

後進の育成も終わり、ひたすら死を待つブログ

分かりやすい弱者に「だけ」優しい人間に喝を入れたい

どうもよよよです

 

YouTubeでどこかのテレビ局制作の引きこもり特集みたいなドキュメンタリー見てたんだけど

その動画のコメント欄を見ると妙に引きこもりに対する同情的な擁護コメントが多くて違和感を感じてしまった

こういうテレビ番組に出るような分かりやすい弱者に「だけ」優しい人間に喝を入れたい

おかしいよな、こんなに優しいコメントする人間が世の中に多いんならポンコツの俺ももう少し生きやすかったはずだけど…そのコメント、本心か?一時的なセンチメンタルに流された言葉じゃないか?

こうしたドキュメンタリーって他人の人生ネタに番組にしてるけど、24時間テレビで障碍者ネタにしてお涙頂戴の感動ポルノにしたてあげてるのと同じ感じがするわ、健常者の一時的な娯楽になってるだけで何か意識の改善に進んでるとかは無いと思う

こういうテレビの演出に流されやすい奴らこそ、同様に職場の雰囲気に流されて、普段一緒に働いているちょっと仕事できない人間とかコミュ症を排除したり冷たかったりするんだろうな

そりゃ自分に迷惑かからないならいくらでも優しい言葉なんかかけられるよ、その引きこもりが自分の周りにいて同じことが言えるか?

テレビの演出にほだされて、明らかな社会的弱者に優しい言葉をかけたその口で、ネットの他の場所では弱者叩いたり職場で立場弱い人間に冷たくする人間がほとんどなんだろうなと思う

もしそれで意識の改善があるんならもう少し他人に優しい世の中になってるよ

世間の人に必要なのは見ず知らずのいかにもな引きこもりの動画に優しいコメントつけるよりも、普段周りにいるちょっと立場が弱い人間がミスしたり自分に迷惑が振りかかったときにでも優しくできるかどうかだよ、それが一番難しいんだから

こんないくらでも取り繕えるネットで擁護コメントして「自分は弱者に優しいアピール」する前に、現実で反省することがあるだろと思ってしまうんだよね

同情することすらも世間の人間には一種の他人に優越感を感じるための娯楽で、それをきっかけに自らの態度を変えられる内省的な人間は一握り

「社会的弱者ってかわいそう!」と蚊帳の外みたいな顔してるけど、その優しさを普段から周りに発揮できる人間になろう

感傷に浸りたい人間に娯楽を与えるだけにならないようメディア側も気をつけるべき

テレビのドキュメンタリーもやたらと感動的な、弱者社会復帰ストーリー演出みたいなのは控えめにしてほしいですよ、人の人生は他人が見てやすやすと感動できるものではなくもっと泥臭いものであるはずですからね